私がダジャレを言い続ける訳

突然ですがみなさん、「ダジャレ」って好きですか。
私は好きです。私とダジャレは切っても切り離せないものだと思ってるぐらい好きです。
これまでのブログでもその片鱗を見せてきたのですがお気づきでしたでしょうか。
まだという方はぜひ探してみてください。
https://ielove-ryukyu.skr.jp/author/ryo/

私がダジャレを言い続けるのには訳があります。今回は特別にその訳をお伝えします。

ダジャレとは

これまでの人生でダジャレの定義について考えたことありますか。
私たちに身近なものだからこそ、定義について考えたことは無いかもしれません。
せっかくなのでダジャレが何か見てみましょう。

” 駄洒落(だじゃれ)とは、同じ或いは非常に似通った音を持つ言葉をかけて遊ぶ一種の言葉選び。
雑俳の1つとしての『洒落』は言葉の一部分を母音とイントネーションが同じ語、母音が同じ語、同音異義語などを当てはめるものである。
例「蝶々一本さらしに巻いて(包丁一本サラシに巻いて)」。
言葉遊びの『洒落』は知識と教養を示す気の利いたものであったが、これに価値を認めることのないカウンターカルチャーからの揶揄を込めて『駄』の文字を冠した。
洒落の文化が失われるにつれ、それを文化として持たない若者からはオヤジギャグと称されるようにもなる。古くは地口とも。
判りやすい遊びの一種であるため、様々な語彙を使用してこの駄洒落が利用される。 ”

引用元記事:https://ja.wikipedia.org/wiki/駄洒落

なんか難しいことが書かれていますが、私なりにダジャレを定義するなら「人を幸せにするもの」です。
そう。私は人を幸せにするためにダジャレを言い続けているのです。

ダジャレがもたらす幸せ

ダジャレがもたらす幸せとはどんなものか。
実はダジャレには言う側にも聞く側にもメリットがあります。

■言う側
・挑戦する姿勢が身につく
今でこそダジャレを言うことに何の抵抗もありませんが、昔は言うこと自体すごく恥ずかしかったです。
(今でもダジャレを言った後に顔が赤くなってるようですが、抵抗がある訳では無いです。)

なぜなら、ダジャレを言っても確実にウケるかどうか分からないからです。
「これ言って大丈夫かなー」と考えに考えてベストなタイミングを逃したり、「スベッたら嫌だな」と思って言うのをやめてしまったりということが多々ありました。

でもダジャレは言わないとウケません。
自分の心の中で思ってるだけでは笑うのは自分だけなのです。
もちろん、ウケる確率は100%では無いですが言わないとウケる確率は0%です。
それに気づいた時、私の中からためらいは消えました。

「まずは言ってみる。」
これってただの挑戦マインドですよね。

それをすることによって成功するかは分からないけど、まずはやってみる。
特に初めてやるものは躊躇しがちですが、挑戦しないことには成功はありません。
ダジャレを言い続けることによって、挑戦する姿勢が身につきます。

・頭の回転が早くなる
私は相手が何か言った時にダジャレで返せないか常に考えています。
それもあってかダジャレが出てくるスピードは結構早い方なんじゃないかと思っています。
これってつまり頭の回転が早いってことなんですよね。

ひとつのワードから発生するダジャレはひとつではありません。
いくつものゴールがあり、そのゴールまでの道筋も様々です。
昔であれば、色々な道を通ってゴールするまでの時間も大分かかっていましたが、日々ダジャレについて考えていることで、ゴールまでの最短距離がすぐ導き出せるようになりました。

また、数多くのダジャレを生み出すには、それだけの語彙力が必要になります。
色々なフレーズ、ワードを覚えていることでクオリティは高くなり、スピードも早くなります。
私はダジャレのために本やニュースなどから様々な単語やHOTなワードを覚えようとしていますが、それは日常会話でも活用できるので、普段から頭の回転が早いと思ってもらえているかもしれません。

■聞く側
・笑顔になる
一番はこれです。私のダジャレを聞くとみんな自然と笑顔になります。
もちろん、常に面白いダジャレを言っている訳ではありません。
中にはスベるものもありますが、そういう時はすべり笑いが起きます。

すべり笑いでも笑ってくれるのは、私がダジャレを言い続けてきたからだと思います。
社内や友人の間では「ダジャレを言う人」というイメージが根付いているので、ダジャレを言うだけで少なからず笑いが起きるのです。
継続することってやっぱり大事です。

・考える力がつく
ダジャレを聞くとほんの一瞬ですが「どのワードが何にかかってるんだろう」と考えるタイミングがあるはずです。
クオリティの高いダジャレであればあるほどその時間は短くなりますが、聞き手は間違いなく頭が働きます。

ダジャレをただ聞くだけでも考える力はつきますが、「さらにダジャレで応戦しよう」と思うことで、より考える力がつきます。

当社には私のダジャレに応戦してくれる方々がいます。
笑ってくれるだけでも嬉しいのに、応戦までしてくれるなんて、私はすごく幸せものです。
ダジャレの掛け合いをすることにより、その面白さに相乗効果が生まれ、何倍も面白くなるんですよね。
それはもう一つの作品。私たちは日々、頭を使った作品を創り上げているのです。


幸せになろう

人を幸せにしたい。幸せになりたい。
そんな方はまずダジャレを言ってみて欲しいです。
ダジャレは人を幸せにするものだと私は思っています。
だからこそ、これまでダジャレを言ってきましたし、これからもダジャレを言い続けます。

この記事を書いた人

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甘いものに目がない。
資料などの見直しが甘い時にスイーツの甘さに例えて指摘することにハマっている。
「ガトーショコラのように甘いよ」